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【世界史】 「ブラブロ世界史 世界史と音楽」古代・中世編ー教皇の逆襲ー


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シリーズでお届けしていきます「世界史と音楽」。

 

今回は、いよいよスタートとなる”古代・中世編”となります。

 

前回の導入記事に関しては、下記に記載いたしますので、

是非こちらも読んでいただければ、全体像がわかるかと思います。

 

さあ、重々しいタイトル

教皇の逆襲」。

映画タイトルみたいですね。

勝手にこのようなタイトルをつけました。

 

左の絵、3人組が描かれていますね。

実は、この絵が大事です。

この時代を象徴している絵です。

 

この背景が、音楽史にとっても大事になります。

「音楽は、人間が楽しむなんてどうでもいい」

どうして、こんなことが言えるのか

 

ここについて触れながら世界史を学べればと思います。

では、全体像をまずは下に載せます。

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今日は、古代ギリシャから始まり、

ローマ帝国ゲルマン民族、十字軍について

触れていきましょう。

 

ただ、古代ギリシャに触れると長くなるので

ローマ帝国からのお話としたいと思います。

 

 

1.ローマ帝国の分裂とキリスト教の登場

あらすじ

古代ギリシャでは、激しい争いが

幾度となく行われていた。

最強の男アレクサンドロスを中心として、

ギリシャからインド付近まで攻め込んでいたが、

アレクサンドロスが若きして病気で亡くなる。

後継者に苦しんでいたギリシャ

その一方で、現在のイタリアでは

共和政ローマが力をつけていた。

地図で見たい方はこちら

地中海をかけた戦い!共和政ローマvsカルタゴ

ローマは、イタリアの首都ですね。

ここで、”共和政”という言葉が出てきました。

共和政とは何か。

これまで、ギリシャでは”直接民主制”によって物事を決めてきました。イメージは国民全員で物事を決めようぜ!といった感じです。しかし、小さい国であればそれは可能です。特に、人数が少ない古代ギリシャは可能でした。

 

しかし、

 

広い国では流石にこのやり方は無理なため、

政治の専門者に判断を委ねることを言います。

今の日本と同じですよね。

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そんな共和政ローマのライバルがカルタゴでした。

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このカルタゴとは、地中海を挟んで戦っていました。

その後に「ポエニ戦争」によって

共和政ローマは地中海を制することになります。

 

ちなみにカルタゴの兵士たちは、

ハンニバルを先頭とし、アルプスを像で登って

ローマを攻めたそうです笑 こんなの急にきたらヤバイ。

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ポエニ戦争(紀元前246年〜紀元前146年)

 

地中海を制した共和政ローマでしたが、

ここで貧富の差が生まれはじめ、

国の中で内乱が発生します。

 

そこで、政治のやり方を見直すために

三頭政治”をはじめました。

 

うまく行かない政治、初代皇帝誕生と五賢帝時代

 

3人に国を任せるというイメージ。 

ちなみに、この時の1人だったカエサル(シーザー)は

帝王のように強かったことから、帝王切開の語源になりました。

 

シーザーと聞くと

ワンピースのシーザークラウンが思い浮かびます。

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ただ、三頭政治もやはり上手くはいきませんでした。

1人が調子に乗ると、妬みが起こり、

そいつを殺し、

また国が荒れると三頭政治に戻し

また同じような妬みがおこる・・

 

この2回の三頭政治見直しの後に、

ようやく初代皇帝が生まれます

 

初代皇帝オクタヴィビアヌスです。

自身を尊厳者アウグストゥスと呼び

皇帝を強調せず、あくまで市民代表であるという

姿勢を貫きました。

 

そこからは、優秀な皇帝が5代続き

五賢帝(ごけんてい)時代」と呼ばれます。

僕のイメージは、嵐のように個々が優秀な感じです。

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さあ、ただやはり良いことは長く続きません。

五賢帝時代以降は、政治が上手くいきませんでした。

 

だんだん荒れてくるとどうなるか

強いものがトップに立つんですね

 

専制君主時代」と呼ばれます。

 

ただ・・・

なんか嫌じゃないですか。

あんなに五賢帝時代に輝かしかった皇帝たちが

力づくで押し倒そうとする皇帝になるのは。

 

そんな市民の声に皇帝は、どうにかまとめようと思い

私は神である」と言い出しました。

※当時の人は、神を擬人化させていたため納得します。

 

そこに現れるのが

そう、「キリスト教集団」だったわけです。

 

キリスト教集団登場

「あんたが神なわけない!!!」と言ってきますよね。

ここで一度は皇帝にねじ伏せられるキリスト教でしたが、

様々な出来事のすえ、最終的に認められます。

さらには、国の宗教(国教)にまでなりますが、

この頃に、ローマ帝国は分裂をしてしまいます。

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2.ゲルマン民族の大移動とローマ教皇

ゲルマン民族の大移動

分裂の後に、ローマを中心とした西ローマ帝国

コンスタンティノープルを中心とした

東ローマ帝国ビザンツ帝国)に分裂しました。

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ただ、分裂後は西ローマ帝国は滅びてしまいます。

 

しかし!

 

この時に、ゲルマン民族が大移動をしてきます

「え!!このタイミングにローマに着ちゃうの!」

 

ゲルマン民族は、アジアのフン族に追いやられ

ローマにやってきます。

多くが西ローマに移動し、

現在のフランスの住み心地の良さに惹かれ

 

「俺ら、ここを住処にしよう」となります。

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ゲルマン民族の大移動

 

ここでできた国の名前が、フランク王国です。

後に、フランスとなる国ですね。

 

ただ、やっぱり急に来られても

もともと住んでた人達にとっては

よそ者に過ぎなかったわけです。

 

ですが、ここで起こったのは、

キリスト教信者になるんだったらOK

ということでした

 

ゲルマン民族教皇Win-Win

これがカトリック改宗です。

ローマ教皇にとっては人が欲しいんです。

ゲルマン民族は受け入れてほしい。

つまりWin-Winの関係が成り立ちます。

ただ、教えるのが難しく最初は聖像を見せてました。

ですが、磔の像はリアル過ぎて嫌がりました。

そこで生まれたのが聖母マリアです。

優しそうな女性が男性を支える姿なら

見ていて嫌にはなりませんよね

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ただ、本来のキリスト教偶像化禁止でした。

それをビザンツ帝国が非難して喧嘩になります。

 

ここで、キリスト教が分裂し

フランク王国ローマ・カトリック

ビザンツ帝国ギリシャ正教

となります。

 

カール大帝君臨。教皇の思惑

ここで強くなっていくのがカール大帝です。

カール大帝ゲルマン民族を率いて、

フランク王国の勢力を拡大させます。

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 めちゃくちゃでかい領土をもち、

そして、ついてカール大帝西ローマ皇帝へとなります。

こうして、ビザンツとは完全に分裂となります

 

カール大帝が皇帝となることを認めたのは・・・

そう、ローマ教皇だったんです。

 

大きな領土を持つ王様を、

ローマ教皇はバックに持つことになる

キリスト教が大きく前進をするきっかけです。

 

その後、フランク王国

イギリス、フランス、神聖ローマ、イタリアに分裂します。

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3.カノッサの屈辱と十字軍

聖職叙任権と皇帝の破門

どんどんと勢力をつけていく教皇

その中で、さらに力をつけます。

教会のビジネスを行います。

教会ビジネス

①課税がない

②教会での物販

③ 農民からは税金を取れる 

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このように教会が儲かる仕組みがわかれば

他の人もやりたくなります。

そこで、帝国教会政策により皇帝による

「あなたもやってもいいよー」という人事権

聖職叙任権が行われていました。
 聖職叙任権を持てば、市民も従いますよね。

 

ところが教皇がこれを非難。

皇帝は、叙任権闘争を行いますが、

これにより皇帝は、キリスト教「破門」となります。

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破門は、ぞっとしたと思います。

後ほど書きますが、この時代にとって

神様の存在というのは偉大でした。

破門=神様から認められない

ということなので、

周りは近づかなくなるでしょう。

 

ハインリヒ4世教皇への謝罪へ向かいました。

カノッサの屈辱ーごめん、教皇

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最初の絵に戻りましょう。

この下にひざまづいているのが皇帝ハインリヒです。

 

これは、教皇に謝罪する仲介を依頼している光景です。

 

この光景の前、

教皇は、ハインリヒが激怒して近づいていると

情報を得て、カノッサの城に隠れます。

ただ、ハインリヒは謝りにきました。

教皇は、自分が捕まると思ってたので

なかなか出てきません。

ハインリヒは雪の降る門前で3日間裸足で謝罪したようです。

 

カノッサの屈辱と呼びます。

 

教皇が、皇帝の権力の上に立つ瞬間です。

 

十字軍

深くは触れません。

ただ、重要な出来事の1つではあります。

 

上記のように神聖ローマ帝国では

教皇による大きな力をつけていきます。

しかし、ここで聖地エルサレム

イスラム教により制圧された情報が入ります。

 

「聖地を奪われるのはアカン!!」

 

ここで聖地奪還に向け、遠征を行います。

これが十字軍の出来事です。

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一度は奪還できるものの、場所が遠いために

奪い返されることが起こったのです。

だんだんと目的を見失い、

商人たちが十字軍を使い始めます。

「領土がある、財宝がある・・・」

 

そして、ついに目的を見失った十字軍は

ビザンツ帝国を何故か制圧してしまいます

 

なんで同じ宗教陥落させてんねーん!

教皇もきっと思ったでしょう。

 

この十字軍のコントロール不足により、

教皇の権力は力を失っていきます。

 

この後、各地の王様による領土の奪い合いが起こり

王権の力がましていきます。

中でも大きな出来事はアナーニ事件でした。

 

ハインリヒ4世の時のように、

反発する皇帝に対し教皇が破門を命じますが、

失墜した教皇の力は、もう通用しませんでした。

そして、逆に教皇が捕まってしまう。

これがアナーニ事件です。

 

こうして、教皇の力が皇帝の下になることとなりました。

 

ただ、十字軍の遠征によって

これまで狭い視野だった人々が、新しい物に触れ

芸術が開花をしていきます。

それがルネッサンスです。この話は次回となります。

 

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4.グレゴリオ聖歌

グレゴリオ聖歌の誕生

さて、ここまでの話は、歴史的な背景でした。

重要なのは、キリスト教がどのような立ち位置だったのか

という点ですね。

 

そして、偶像の話がゲルマン民族の時に出ましたが、

このあたりから音楽としての祈りが始まりました。

 

それがグレゴリオ聖歌です。

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左の楽譜が、ネウマ譜というものです。

主に、合図や記号による表記となっています。

中世におけるキリスト教の世界観は、 

世界=宇宙とは神が作ったものであり、

そこには神の秩序が存在する 

 すごく複雑な考え方なんですけど、

要するにこのころの音楽概念は、

 

人が歌って楽しむこと、聴いて楽しむことは求めない。

神の世界を表現することが目的だ

ということなんですね。

ハルモニア・ムンディー=世界調和」と言います。

 

当時の人々にとって、神という存在がいかに偉大だったか

このことからもわかってくると思います。

 

楽器を使わない。ア・カペラの存在

日本であれば、古代歌謡でも

笛や打楽器が付いてますね。

ギリシア神話でもハープが登場します。

 

ただ、グレゴリオ聖歌の考え方では、

楽器は排除すべきという考えでした。

 

カノッサの屈辱を思い出してください。

教皇が皇帝よりも力をつけてましたよね。

見えない神の存在は、人間に似姿させたことで

より人が祈りを捧げられます。

 

音楽的に考えれば「神の音楽」という存在は、

実際に聞くことができないけど、

それに近しい人間の声を用いた音楽であれば

神の世界を表現できると考えられました。

 

だからこそ、楽器ではなく

神との距離が近い人間の声を楽器としたわけです

 

つまり、アカペラで歌われていました。

acappllaはイタリア語です。

そして、カペラは御堂(チャペル)ですね。

アカペラの起源はここにあるわけです

 

音楽的にどうだったのか

①順次進行

「順次進行」となっています。

かえるの歌のように「ドレミファソラシド」と

隣り合う音へ移動する流れです。

これにより、滑らかなゆったりとした音楽

となっています。

 

②モノフォニー

単旋律を全員で歌うのが最初です。

言葉はラテン語です。

また、独特なリズムとなっています。

そして、調に関してはこの頃からすでに存在してました。

 

③リズム

拍という感じがなく、独特なリズムです。

また終わった感じがないのは、

終止感が弱いからと考えられます。

 

実際にグレゴリオ聖歌を聞くとわかります。


グレゴリオ聖歌: 賛美歌「誠実な十字架」[ナクソス・クラシック・キュレーション #癒し]

 

5.まとめ

共和政ローマにおいてポエニ戦争により勢力が拡大

ゲルマン民族の大移動でキリスト教は拡大した

 →フランク王国の誕生と繋がる

カール大帝が力をつけ、その王権を教皇が任命した

神聖ローマ帝国となり教会事業が儲かっていた

・聖職叙任権を巡りハインリヒ4世教皇と対立

 →ハインリヒが謝罪:カノッサの屈辱

 →教皇の力が皇帝よりも上になりました

・十字軍による失態によって教皇の権力は下がった

グレゴリオ聖歌は神への秩序の音楽

 →アカペラの起源となった音楽となりました

 めちゃくちゃ長くなりましたが、この内容が今後の音楽史にとって非常に重要な内容となってきます。キリスト教は、最初は認められなかった立場から、ゲルマン民族によって勢力を拡大させることができ、カール大帝へ王権を与える存在となりました。そして、カノッサの屈辱によって、皇帝よりも上の立場になる”教皇の逆襲”とも言わんばかりの立場となりました。しかし、十字軍の失態によって、また教皇の権力は下がってしまいます。

 

ただ、”神の偉大な存在”というのは変わってません。そして”教会は儲かる”という点をうまく利用する人物たちが登場していきます。歴史は、ルネサンスへと突入していきます。

 

続きは、第2回「ブラブロ世界史 世界史と音楽ー近代編」にて公開をします。