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【世界史】 「ブラブロ世界史 世界史と音楽」近世編ー讃美歌の誕生ー


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あらすじ

ゲルマン民族の大移動によりできたフランク王国教皇はバックにカール大帝をつけ、その権力を少しずつあげた。その後、イギリス、フランス、神聖ローマ帝国、イタリアに分裂。教会が儲かることで、聖職叙任権を皇帝に渡さず教皇が得ることに。教皇が皇帝の上をいく時代が続いたが、イスラム教が聖地を制圧した情報を得て、十字軍を結成し攻め込んだが、金銭に目が眩み仲間だったビザンツ帝国も制圧。この失態で教皇の権力は下がり、王権が少しずつ大きくなった。さらに十字軍が遠征に行って新たな文化に触れ始めた、ルネサンス時代の始まりだった。

 

 前回の「古代・中世編」については下記の記事よりご覧ください。

kinoko1629.hatenablog.com

今回は、「宗教改革」を中心とした内容を行っていきたいと思います。

 

 

1.芸術の発展”ルネサンス”と貴族たち

ヒューマニズムの始まり

前回のお話にもあったように、

十字軍の失態によって教皇の権威は落ち、

さらに、遠征によって様々な文化に触れました。

ここが14世紀頃のお話です。

 

15世紀になると、人間中心となる考え方に変わります。

ヒューマニズム人文主義というものです。

 

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ただ、人間らしく生きようにも、

キリストに頼ってきた1000年近くの時代を

急に変えることはできません。

 

そこで、古代ギリシア・ローマ時代の研究

この時代に進みはじめます。

 

ここで大事なことは、

決して神を否定している訳ではなく

少し開放的になろうよという点です。

 

この頃になると芸術、天文学などが開花します。

ダヴィンチや、ミケランジェロなどですね。

 

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貴族によるスポンサー

当時イタリアは商業で溢れていました。

その中には、当然金持ちの商人もいました。

いわゆる貴族たちですね。

 

特に、メディチ家フィレンツェの大富豪)が

ここでは重要な存在となってきます。

 

メディチ家は、芸術品などに対して

お金を出してスポンサー的な役割を果たしてました。

 

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 メディチ家の礼拝堂 

 

さらに教会からのサポートもありました。

この時に、ローマ教皇として

教皇レオ10世が主導となっていました。

レオ10世は、メディチ家の出身です。

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そう、神を否定できなかった理由は、

ルネサンスの背景に、教皇の存在があったため

批判などは言えなかったです。

 

このレオ10世が大きな動きをはじめます。

 

2.天国へのパスポート”贖宥状”

教会改修にお金がなくなった

宗教改革の臭いが漂い出したのは、

神聖ローマ帝国からでした。

 

神聖ローマ帝国は現在のドイツに位置します。

教皇はレオ10世でした。

 

サン=ピエトロ大聖堂という

非常に大きな教会があります。

当時、改修工事が行われることとなり、

その費用がバカ高かったため、

お金がなく、レオ10世は困り果てていました。

 

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なにか手段はないかと考えた末、

とんでもない案を思いつきます。

それが”贖宥状(免罪符)”でした

 

お前たち天国にいきたいだろ

贖宥状とは、簡単に言えば

天国へのチケットみたいなものです。

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贖宥状の販売 

 

いやいや、そんなものある訳ないでしょ。

 

当時の人は信じたんです。

だからこそ、チケットは大売れしました。

 

でも、これはバカにできません。

コロナでトイレットペーパーが無くなると

日本中が焦ってましたよね。

今となっては可笑しい話なのに、

それと同じですよ。

 

そして、このころの神聖ローマ帝国の皇帝は

そこまで権力がありませんでした

この時代は、貴族が力をつけていた時代です。

だからこそ、メディチ家出身のレオ10世には

好き勝手なことができたと考えられます。

 

3.ルターと宗教改革の始まり

贖宥状に反発したルター

この贖宥状のやり方が、神聖ローマを中心に

周辺各国に広まりました。

しかし、中には当然反発を示す勇者もいます。

その1人がマルティン・ルターでした。

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ルターは、聖書に関して勉強をしており

「そんなチケット聖書に書いてない」と

疑問と、カトリックに対して反発を示しました。

 

そこで、95箇条の論題という質疑を

教会の扉に貼り付けました。

これが宗教改革のはじまりでした。

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また、一般人にもわかりやすいように、

活版印刷という形で、ドイツ語にも記載し

掲示板に貼りました。

 

ただ、この行動にはレオ10世も黙っていません。

 

最高裁判にかけられたルター

最初は論争で終わると思っていた闘いでしたが、

ここから公開討論の場へと発展します。

 

そして、フスを認める発言をしたとして

異端な男として、1519年にレオ10世によって破門。

また、この時皇帝だったカール15世は、

宗教争いを沈めるべく、密かに行動をしていたルターを

ヴォルムス帝国議会に召喚しました。

 

いわば、最高裁判所のようなものです。

 

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そこでも自身を曲げないルターは、

ついに帝国追放を命じられます。

その後、城から抜け出しましたが、

拉致をされたという情報が流れました。

 

ドイツ語の聖書

拉致をされ、殺されたと思われていたルター

しかし、彼は生きていました。

ルターの仲間に保護をされて、

ヴァルトヴルグ城に匿われていたわけです。

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自身は、国を追い出され

 

仲間になれば、一緒に破門にされる危険もある。

その中で、危険を顧みず助けてくれたことに、

ルターはどれだけ感謝をしたでしょう。

 

そして、彼はついに農民・市民にもわかる

ドイツ語訳の聖書が完成しました。

 

この宗教改革では”予定説”を唱えた

スイスのカルヴァンも有名になります。

 

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このルターやカルヴァンのように

宗教改革によって新たに生まれた思想を

プロテスタントと呼びます。

 

4.宗教改革と音楽

まず、グレゴリオ聖歌誕生からルネサンスの間に

クラシック音楽にとって2つの変化が起きました。

 

①モノフォニー→ポリフォニー

②楽器の多様化

 

ポリフォニーは、複数の旋律を歌うことです。

楽器の多様化は、パイプオルガンがきっかけですね。

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では、宗教改革が音楽の歴史において重要なのか。

 

グレゴリオ聖歌は、もともとカトリックによって

生み出されたもの=ラテン語ですよね。

 

先ほどもお話したように、ラテン語は難しく、

神への秩序を目的としていた教会音楽も、

教会関係者でなければ歌いにくい曲でした。

そして、ポリフォニーもまた

音楽を難しくさせていた存在でした。

 

ルターは音楽にも精通しており、

いわば”セミプロ”でした。

 

聖書をラテン語からドイツ語に訳したものの、

今のように、識字力はそこまでなく、

 

「ルターさん、これどういう意味?」

 

と思う一般人も多かったと考えられます。

そこで、ルターは音楽によって

雰囲気などを理解してもらうために

自ら作曲を行いました。

それが、「神はわがやぐら」という曲です。

 


【オルガン伴奏・会衆合唱】Martin Luther "Ein feste Burg ist unser Gott" マルティン・ルター《神はわがやぐら》

 

グレゴリオ聖歌からポリフォニーの教会音楽までは

修道士や神父と行った専業の宗教者が歌い、

信者はだいたい聴く立場でした。

 

宗教改革以降、プロテスタントでは

信者たちが自ら歌い且つ祈る、

参加型の音楽スタイルに変わっていきました。

 

メロディーは基本的に歌いやすい単旋律(モノフォニー)

そこに簡単な伴奏や合唱が加わります。

これが讃美歌です。そして、讃美歌をコラールと呼びます。

 

そして、ルネサンスにおいては、

上記で記載したヒューマニズムの考え方から、

古代ギリシアの演劇を復活させる動きも生まれます。

それがオペラです。

 

このオペラにおいて、場面の雰囲気や展開を伝える

合唱隊がいます。それがコラルと呼ばれており、

これが、コラル→コラール→コーラスとなりました。

 

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 5.まとめ

・十字軍の失態、ペスト流行により教皇の権力は落ちた

ルネサンスを起点に、ヒューマニズムの考えが定着する

神聖ローマ帝国ではメディチ家が力を持っていた

メディチ家は、芸術家や研究者のスポンサーだった

教皇にはメディチ家出身のレオ10世がなった

・サンピエトロ大聖堂の改修費のために贖宥状を販売した

・聖書に載っていない贖宥状に対して反発が起きた

・ルターは、95箇条の論題を叩きつけた

・ルターは破門され、カール皇帝によって追放された

・ルターは、ラテン語の聖書をドイツ語に訳した

・聖書の雰囲気をわかりやすくするため作曲した

宗教改革によってプロテスタントが生まれた 

 

ルターが作った音楽によって、高度な技術でわかりにくかったポリフォニー且つラテン語の音楽が、ドイツ語となって讃美歌が生まれました。シンプルな単旋律に対して、バックでコーラスを作る「参加型の音楽」が生まれました。このあと、貴族の時代から、いよいよ王権の時代へと突入します。太陽王ルイ14世の登場、さらに音楽ではバロック時代へと入り、バッハやヘンデルが出てきます。私たちが知っている音楽家がこれからどんどん出てきますので、お楽しみに。次回は、絶対王政時代です。

 

それでは、また。

 

 

参考文献: