【雑記】震災から9年
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久方ぶりの記事更新となります。むしろ2020年初ですね。全然更新ができずに申し訳ありません。今更ですが、明けましておめでとうございます笑
2020年突入の直後は、39度近くの謎の高熱にやられ、その後はWindows7のサポート終了にIT業界は破茶滅茶忙しくなり、新たな配属先でスタートをきり、主催ライブを開催し、コロナウイルスで世の中は荒れるというなんともすごい幕開けからの現状に至ってますね。
そして、3月11日を迎えたわけです。東日本大震災から早くも9年が経ちました。今日はそのことについて触れて記載をしていきます。
※ここから先は、震災後の写真も掲載いたします。見たくない方、思い出されたくない方は、ここまでお読み頂けただけで非常にありがたく思っておりますので、読むのをやめていただいて結構です。
震災から9年。あの頃について振り返る
恐怖に怯えた3月11日
2011年3月10日。この日、仙台市で自身が主催をするアカペライベントを開催していました。当時、僕は大学4年生の先輩5人と一緒にバンドを結成しており、先輩たちの卒業・バンドの解散ライブとして、仙台市にあるHookというライブハウスで開催をしていました。
ライブ当日に震度4くらいの地震が発生し、その時は「震度4のわりには、結構大きく揺れたな」と話しながら、夜のライブに向けてリハーサルを行っていました。その日は、何事もなくライブは終わり、仙台に一泊をして山形市に帰ったのを覚えています。
3月11日。仙台から帰宅後、アカペラの練習があり大学にむかいました。この時、時刻は14時頃だったのを覚えています。昨日のライブの疲れもあり、眠たさも感じながら練習をしている時でした・・・・
突然の細かな揺れ、そこから段々と揺れの大きさは増していき、蛍光灯がバチバチとなり始めました。こんな経験したことない!と心の中で思いながらも言葉に発する余裕もなく、慌てて外に逃げようとしました。プレハブ質の2階建の部室、その2階にアカペラサークルの部屋はあり、慌てて外に出ようとした瞬間、揺れの反動で廊下に体が叩きつけられました。まっすぐも歩けないなんて・・・その後揺れは静かに収まり、大学の学生会館前には、春休みでサークル活動をしていた学生が50人くらい集まっていました。
大学前の信号機は稼働しておらず、不安を煽るように空からは雪が降ってきました。何か情報を知りたかった俺は、ワンセグでチャンネルを調整し地震情報を確認しました。
「あれ?何か色がついた物体が流されている・・・」
チャンネルの調整が完了した瞬間に流れた映像に、最初はよく理解ができませんでしたが、よくよく見ると1つ1つが車であることに気づきました。その映像を見た時は、手が震えるどころか、すぐにワンセグを隠したくなりました。
その当時、携帯のワンセグもなくなりつつあり、ワンセグ付きの旧式のウォークマンを持っていた人は少なかったです。そのため、周囲は震源地情報などを携帯の情報で確認することはできても、映像として何が起こっているかを確認している人は少なく、明日以降の予定をどうするか友達と話している人が多い印象でした。そのため、ワンセグから流れる映像を、できることなら見せたくなかったのが本音でした。俺自身も、この映像はあり得ないと思っていたくらいですから。
実際に震源地にいた大学の友人は、電波も通じない状況だったために、ようやく避難ができ実家の山形に着いた2週間後くらいに、3月11日に何があったかを初めて知ったという話を聞きました。テレビの前で、膝から崩れ落ちたとのことでした。
3月11日の夜は片っ端から食料を確保し、真っ暗な中で友達5人と夜を共にしたのを覚えています。ワンセグの電池が切れないように、時間を置いて情報を確認しながら、互いに寒さを凌いで一夜を共にしました。
震災から2年後に訪れた石巻と気仙沼
2年後に、当時大学4年生だった俺は石巻と気仙沼を訪れました。2年が過ぎても震災の爪痕は2011年のまま残っており、復興まで長い時間がかかると肌で感じました。
校舎の窓ガラスが全て破損した石巻市の門脇小学校、波によって打ち上げられた第十八共徳丸は特に衝撃的な光景であり、津波が襲った街はさっきまで家族で過ごしていたという残り跡だけが、住宅の基礎と折れ曲がったアンカーボルトから感じました。大通りを中心に両脇に広がる光景は、跡形もない街の姿でした。あの時に見た光景は、今でも忘れられない光景です。
奥に見える橋を越え、津波が襲ってきたそうです。
震災から9年が経ち
3月11日、そこから約1ヶ月くらいの出来事を思い出すと、あの時は「どこで何が起こっているのかわからない恐怖」をひたすら感じていたように思います。忘れてはいけないと感じながらも、いつの間にか時間と共に、あの頃に感じたことは薄れて行っています。ただ、3月11日という日が来るたびに、こうして振り返ることが大事なのかなとブログを書きながら感じています。
実は、気仙沼を訪れた際に唐桑町に行ったんですが、現地の方々から「アカペラの子達が演奏に来てくれたんだよー」と話が当時ありました。AWSの方々かなと思いながら、楽器がなくても人が集まれば演奏ができる、そんなアカペラの良さをその時に改めて感じました。
9年という月日の間に、様々な出来事がありました。そして、来年で震災から早くも10年が経ちます。時間の経過は関係ありませんが、大事になのは当時に感じたことを伝えていくことなのかもしれませんね。